見ずして信じる信仰(伝道所掲示板より 2019年9月1日)
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
(ヨハネによる福音書20章27-29節)
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人間は見えなければ信じない。だから愚かにも見えないものを形にしようとする。それが偶像発生の起源である。偶像は人間が造ったものに過ぎない。人間は、十字架の像、神の像、仏の像を、不安だから作り上げる。高価な材料を使い、お金を投資し、偽物を造る。本来、十字架も神も仏も見えないものである。見えないものを見えるように仕立てそれを拝むという事は、人間が造ったものを人間が拝むという事である。それは単なる人間の業の範疇に過ぎない。見えない神を見えないままで拝する時に、初めて人間を超える神の恵みを知ることができるのである。
見ずして信じる者は幸いである。
( 2019年9月1日)