共におられる主(伝道所掲示板より 2020年2月1日)
私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。
(ローマの信徒への手紙8章38‐39節)
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人は神に勝利を祈る。病の全快を祈る。事の成功・成就を祈る。幸せを祈る。その祈りが成らないときには、神に絶望する。
しかし信仰の真骨頂は、負けたとき、病が癒されないとき、失敗したとき、祈りが成就しなかったときにある。そのような苦難のときも、神は共にいてくださる。神の御臨在を心と膚に感じているならば、それでよい。その時、負けは負けでなくなる、病が癒されずとも、失敗してもそれは神の御旨である、祈りが成就しなくてもそれは神の御心である。
自分の御利益的尺度で神を計ることなかれ。神は汝を超えている御方である。
汝の明暗にかかわらず神は寸分絶え間なく汝と共にいてくださる。
神共におられるならば、暗きにあっても平安である。
神共におられないならば、明るきにあっても不安である。
暗きにあっても主の御臨在を知るべし。その時汝の心は平安となる。
その時暗き心は明るきに変わる。
神は彼が選ばれた者からけっして離れることはない。
汝いかなる時も主共にありて平安なれ。
( 2020年2月1日)