<今月の言葉 2022年2月> 雀(すずめ)
雀(すずめ)
二羽の雀が1アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
(聖書協会共同訳・マタイによる福音書10章29節)
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この聖書箇所の解釈の多くは、次のようなものである。「イエスの当時、雀は最も安価な食物の一つであった。この安い値段で売られていた雀でさえ、父なる神のお許しなしには、一羽も地に落ちることはない」。
しかし「あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない」という箇所のギリシア語原文には「お許し」という言葉がないのである。直訳すると、こうなるのだ。
あなた方の父なしには地におちることはない。(傍線筆者)
つまり、神が雀と共に地におちてくださる、という意味になるのである。神の「お許し」とは、神の支配を意味する。神の支配があるところに、神の「お許し」は生れる。この聖書協会共同訳の訳者は、原文にあるはずもない「お許し」を加えることで、神の支配をつくり上げてしまった。神はわたしたちの支配者ではない、わたしたちと共にいてくださる方である。支配する神を信じる者は、他を支配するものとなる。イエスは支配する方ではなく、共におられる方であった(インマヌエル)。神をつくり上げるのはいつも人間の側である。
わたしは、この箇所に関して、上記の直訳を支持する。神は地に落ちる者と共に落ちてくださる。失敗の時も、不幸の時も、病の時も、苦しみの時も、共に失敗し、共に不幸になり、共に病んでくださり、共に苦しんでくださる。神はわたしたちの死の時には、共に死んでくださり、共に復活してくださる御方である。
わたしたちを支配しようとして高所にいる神をわたしは信じない。高所より降りて、いつのときもわたしと共にいてくださる神を信じる。あらゆる支配からの解放は、支配する神を放棄することから始まる。
わたしもわたしの神のように、全ての人の隣にいつもいたいと願う。
(2022年2月13日)